染織を楽しむhiroの日常を綴ります。
2010年07月20日(火)
再就職してから 一度も退職のことを考えなかったと言っては 嘘になる。
それどころか(もうやめようかな)と、事あるごとに しょっちゅう考えた。
最初の訪れは 再就職の職場を5年で転勤した先の職場でだった。
いきなり新一年生の担任となり、独身の40代と20代の女性との組み合わせだった。身軽で?はり切った二人に対して二児を子育て中の私は時間的なゆとりがない。
秋にはずっと忘れていた気管支喘息(小児喘息の過去あり)がひどくなり
療養することになる。 精神的なストレスからとの診断だった。
療養しているうちにふと (退職したら 楽になるかも知れんなあ)と思う。
(無理しなくても 夫の給料で食べていけそうだもの)とも・・・
しかし体調が回復すると その考えは後退し、またもや 心機一転して出直すことになった。
このときの経験から 人と比べたり,競ったりせず、自分のペースと物の考え方を基本にして生きることになる。
教員の社会は狭い。上役・同僚・子ども・その親という関係で成り立ち、他の世界を知らなくても生きられる。
その中だけで暮らすと、社会全般のできごとや他の分野の職業の人と会う機会は めったにない。
下手をすると「井の中の蛙」状態のまま 定年を迎えることになるかも知れない。
同僚とは対等の立場,子どもや親に対しては優位(表面上),会社と違って上役も怖くはなし だ。
狭い世界の中で 硬直した考え方や人間関係に囚われていたことも、病気になった原因の一つである。
そうと分かったからには、教員以外の人と会いたい!
ここからお稽古ごとの遍歴や 他の分野の人とのお付き合いが始まる。
(こんなに広い世界があったのか こんな仕事もあったんだ)と 感動さえ覚えたものだ。
新卒のときから数えて 5校目に転勤したときは子育ても一段落し、やっとゆとりをもって仕事ができる40代。
いわゆる「働きざかりの年代」となって、いろいろな内容の仕事を任せられる。
本来なら(いよいよ落ち着いて働けるぞ!)と思うのだろうが、どこか勝手が違う。
働き盛りの年代は管理職と後輩同僚の間に立って、一定のレールの上を決められたように動くことを期待される。
このまま働いても先が読めているし、定年まではとても勤まらないなあ。
定年まで教職一筋に勤め上げた先輩たちから、こんな文面の挨拶状をよくいただいた。
「私〇〇は 38年間(40年間とも)の教職を務め終え、無事に定年を迎えることができました。
ひとえに校長先生はじめ諸先生方のお力添えによるものと 深く感謝している次第です。
これからの人生は、在任中できなかったこと(お稽古や孫の世話など)を楽しませて頂こうと存じます。
今後とも変わらぬご指導のほど よろしくお願い致します。(後略)」
書けないなあ私には こんなに誠実で謙虚な挨拶状なんて・・・
経済成長が停滞した平成の今から見ると、この頃の日本は まだまだ元気だった。
二人の息子は東京の大学に入学していて、ささやかな学資を送っていた時期である。
「失われた十年」と呼ばれる1990年代(バブル崩壊後)から 日本の経済はずっと下り坂で 今に至る。
このときから5年後に退職するのだが、ある目的に向かっての準備を 少しずつ始めていた。
(*勤続・・・同じ勤め先に継続的に勤務すること)
Posted by 欅舍のひろ at : パーマリンク