染織を楽しむhiroの日常を綴ります。
2010年08月08日(日)
起業という言葉は平成22年の今 使い古されて 珍しくもない。
10年近く前は新鮮な響きがあり、新しい働き方として期待されていた。
時代の風潮に乗り、50代の最後に気負いもなく「個人事業」を立ち上げた。
この頃は新卒就職するにも バブル崩壊後の 就職氷河期が続いていた。
就職していた女性の中にも「自己実現」としての起業を考える人がいた。
「起業」は時代の先端を行く言葉でもあったのだ。
私の考えた事業内容は、人から見たら「何?それ」だったろう。
現役時代から始めていた「機織りと染色の教室」なのだ。
自宅のため家賃も払わず スタッフもいない、文字通り1人だけの出発である。
9年続けてきて (事業って 働く割には儲からないし 報われないものだなあ) とつくづく思う。
家賃を払っていたのなら とっくに廃業しなければならないし、スタッフがいたなら人件費はろくに払えない。
自分の働き分なんてどこからも出てこないから、食べる分は他で稼ぐしかないだろう。
事業を 維持運営できることだけでも良し、と考えているのが現状である。
それでも続けるのは 「おもしろいから」という理由しか思い当たらない。
結論を言えば、「事業で食べていける人は(才能がないのを棚に上げ)めったにいないんじゃない?」って思う。
それにしても、寅さんにいじられていたタコ社長は偉かったなあ。
小さな印刷工場を維持し、従業員(さくらの夫もその一人)を食べさせるための金策に駆けずり回っていた。
額に汗して責任を全うさせる「理想の社長像」だと 今更ながら敬服する。
私の係累の中に 自営という職種の人はいなかった。勤め人ばかりのため、一定の給料は自動的に確保していた。
唯一の例外は、私が一年生の冬 72才で亡くなった母方の祖母である。
太平洋戦争の少し前まで(70年以上も昔) 陸軍ご用達の豆腐製造業を 手広くやっていたと聞く。
道楽者だった祖父に代わって陣頭指揮に立ち、職人たちにも評判が良く 男勝りだったらしい。
この祖母の「豆腐作り」と 孫の私の「染織によるものづくり」との 共通点と違いを探ってみよう。
どちらも「暮らしの中で使うもの」である。
祖母は少しでもおいしい豆腐を提供するために むらのないプロの技で品質を保っていたという。
私も天然繊維を使うことにこだわり、糸を染めることから織りや仕立てまでの 一貫作業をしている。
大きな違いと言えば、祖母はその仕事で一家の生計を立て 使用人の生活も保証していた事業家だった。
時代も 仕事に対する気構えもちがうけど、「自分で仕事を創り出す」ことは同じじゃないかと孫は考えるのだ。
大したこともやってない私だけど、「始めてみてよかった!」と言いきれるのは うれしいな。
事業って、人生の終わりに近づいた60代を(70代も) 面白く生きられる手段の一つじゃないかな?
ご縁のなかった人にも会えるし、刺激のあるできごとも起こるし、お金を循環させるための工夫も・・・
平穏無事とは言えない毎日を 楽しんで暮らす生き方があってもいいんじゃない? と開き直る私。
つかず離れずで 緩やかなおつきあいの続く起業家たちの存在も励ましになる。
女性が多い若いお仲間は、IT分野,清掃会社,広告・出版,コンサルタントなど 多岐にわたっている。
細々とではあるが「やっと10年続いたよー」と言えるのは来年のこと、もう少し頑張ります。
*起業とは…新しく事業を起こすこと
Posted by 欅舍のひろ at : パーマリンク