2023年12月05日(火)

    ここ10日ばかり、家の電話が受話器を取っても無音なのでおかしいとは思っていた。

    12月になってお掃除会社から手紙が来て「電話が通じないので掃除の日をお知らせします」と。
    もう一つは、毎年欅の木の剪定をしてもらう業者からの電話に代わってのメールがあった。

    なぜ通じないのか不明だが一挙に この際に固定電話を撤去する流れになった。
    問題は 私はメールでのやり取りが多いのでいいが、夫の通信手段がなくなったことだ。
    「じゃあ、スマホを購入して電話機能だけ使えばいいよ」と提案する。
    簡単に言ってはみたものの、私だってスマホの機能は写真を撮ることだけで電話はほぼ活用なし。

    思案に困って近くに住む次男に話すと、別の手段があるという。
    懐かしの携帯電話が復活しているとのこと、ほぼ電話だけの機能だそうな。
    


二つ折りで小さくて持ちやすい


    
    夫に付き添って近くの店に行き、身分証明としてマイナンバーカートの提示を求められる。
    登録していない場合は、運転免許証(免許返納したときの証明書も可)でもいい。
    機種の代金(33000円)を支払った後、毎月の引き落とし代(2500円)の銀行口座の登録をする。

    すべての手続きを終えた携帯電話には今、私と次男のスマホの番号が入っているのみ。
    使いこなすのは前途多難だけど、新しいおもちゃ?を前に夫がつぶやく。
    「僕の若い時代にはパソコンができて使うのも難しかったよ。
     電話がこんな小さいもので使えるとは世の中変わったなあ、知らんかった」

    私だってスマホが苦手で文字打ちなんてどうしようもないんです。
    でも固定電話がなくなったんだから、スマホでのやり取り頑張ります!
    
               アナログ老夫婦の ちょっぴり悲哀を感じた年の瀬でした。


長久手の遠望風景をデジカメで撮る


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2023年09月20日(水)

   異変って突然来るものだ、と思った8月の日曜日。

   いつものように機織りをしていたら、右手に持った板ひ(糸を巻いた道具)が水平に保てない。
   傾いたままで糸の間を通らないのだ。立ち上がると右足に力が入らずガクンと傾く。
   あわてて二階の居間への階段も四つ這いになって上り、近くに住む息子に連絡して車に乗って愛知医大へ。

   日曜日のため数時間待たされた後に、脳のMRIを受けて脳梗塞と診断される。
   とるものもとりあえずという形で即日入院となり、その日は個室で過ごした。
   腕には4つの点滴液をつけて、次の日からは4人部屋に移ることになった。

   これまで米の飯を敬遠してきたけど、3食とも完全な和食となった。
   同室の人とはカーテンに遮られて会話はないけど気配はある。
   鼻の手術後、脳梗塞、糖尿病などいろいろあっても退院は近い人たちと過ごす。

     入院直後に息子に頼んだのはこれまで関係のあった人や場所への緊急連絡だ。
     けっこう連絡するとこが多いんだな、と呟いていた。
     連絡内容は「退会します」「しばらく休みます」「延期します」に分けて・・・


            11階の病室から長久手のパノラマを朝・昼・夕・夜と見ていた


    

     脳梗塞というのは血管の経年劣化だから手足が動いてもやることをセーブしなくちゃ!
     考える時間はたっぷりある。やりたい放題だったことを取捨選択しないと振り回されるなあ。
     これからの暮らしに譲れないことは何だろう? やめても代わりのことを自分で進められることは?

     人のためにやるんじゃなく、自分のためにやることが結果的に人のためにもなればいい。


今は一人、10月から交流の場となるアトリエです

そう考えるとかなり内容が絞られてきた。
入院したきっかけは機織りの最中だ。
35年前から糸を染めて、1枚ずつ布を織ってきた。
白内障の手術後は細かい作業が捗る。
糸もたっぷりあるし織りたい布もある。
これから続けることの第一は機織りに決めた。

第二は最近始めた絵を描くことだ。
子どもの頃から好きだったからまた始めよう。
機織りでは表現できない世界があるもの。

第三はいろいろな作家や作品の展示である。
人の作った世界を見せてもらえるのは刺激になる。

いずれも「表現活動」で1階の空間でできること。
外へ出かけないのはスケジュールに縛られない。
私のスケジュールは真っ白で自由になった。

病院のリハビリは「歩くこと」「筋肉を作る」だ。
すぐに足が痛くなるけど、買い物をしている歩く。
ラジオ体操とスクワットをユーチューブで真似る。
日々の暮らしで習慣化することを目指すしかない。


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2023年05月02日(火)

    左目の白内障手術が終わって5日が過ぎた今日、運転免許更新のため瀬戸警察署に行った。

    手術をして両目の矯正視力を0、7以上にすることが目的で、それ以上の望みは特にない。
    手術前の視力はどんなに矯正しても0、5にも届かず、運転免許の更新は到底無理とのことだった。
    もし免許を取らないのなら手術もしなかったし、そんなに視力がないことも気づかなかっただろう。
    そんな自分だから「視力がよくなれば結果オーライ」と迷いもなく気楽に考えていたのだ。
    前日にメガネ屋さんで作ってもらった眼鏡の掛け心地がよく、視力検査がうまくいきますように・・・

    さて今日はGW中の休みを利用して「免許を更新したい」という人たちでいっぱいの警察署。
    私の新しい免許証を手にして、この慌ただしかった日常が過去のものになりかかる。
    手術していただいた先生や看護師さん、ありがとうございました! 


欅の木は新緑が勢いよく芽生えた

人工レンズが両眼に入って術後の感染を防ぐために目薬を差している。
時間を決めて1日に4回、おかげで経過はよいのがありがたい。

近くは眼鏡を掛けず、機織り,絵を描く,本を読むことができる。
スーパーの買い物も品物と値札がよく見えるし、人の顔も判別できる。

運転用に急いで作ってもらった眼鏡以外は廃棄することになった。
視力がよくなったため、掛けるとかえってぼやけてしまうのだ。
目に映る風景や空の色,花や植物がくっきりした輪郭をもって迫ってくる。

床に落ちている小さなゴミも目についてやたらと拾う癖ができて困る。
自分の顔の皺やたるみもよく見えてがっかり、いいことばかりじゃないね。


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2023年04月25日(火)

    運転免許書き換えのために眼鏡を作り変えようと眼鏡店を訪れたのが始まり。
    入念に視力検査をしてもらったが必要な視力がどうしても出ないとのことだ。
    お店の人が「眼科医に診察してもらってください」と・・・
    免許証書き換えまで1ケ月もないので、すぐに行動を開始した。
    診察の結果はひどい近眼に加えて、両眼とも白内障と分かる。
    手術する以外に方法がないと知らされ、愛知医大への紹介状を渡される。

    その週の半ばの手術では濁った水晶体を取り除くだけだと思っていた。
    しかし、人工レンズをはめ込むためにどこに目の焦点を当てるかを聞かれる。
    スマホやパソコン,読書や手仕事のために「40センチの距離の単焦点」を選んだ。
    この単焦点レンズは保険内で賄えるので、医者のおすすめの治療法だそうな。


近距離で眼鏡をかけてもぼーっと見えていた


   
     手術の経過は医者から事前に知らされていたので、とくに不安はない。
     まず濁ってしまった水晶体を摘出する。 その後超音波を使って水晶体の中身だけを砕いて吸い取り
     水晶体の袋(嚢)は残す。残した袋の中に、水晶体の代わりとなる眼内レンズを挿入するのだ。

     麻酔薬の入った目薬を右目に差されて少しすると、視界の光がボーっとしてくる。
     きれいな花びらのようだと感じたが、施術中のメスや手はまったく見えないし痛みもない。
     手術は10分で終わり、右目に白いガーゼの眼帯をして20分安静になる。
     その後は片目だけで歩き、停留所からバスに乗って帰宅した半日コースである。
 
     翌日はガーゼを外すためバスでの往復となった。
     診療室でガーゼが取り除かれ恐る恐る目を開くと「何?これは!」とびっくりする。
     部屋の中が白くて明るく、視界がくっきりと見えるのだ。
     試しに手術をしていない左目だけで見ると、白い壁はベージュ色に変わった。
     バス停から空を見ると、透き通った青空が見える。サツキの植え込みは白やピンク色。
     また左目だけにするとベージュと赤っぽいサツキの花になった。おもしろいなあ。

     その後の視力測定の結果、(右目0,03→0,6)と私としては大出世ではないか!
     次は左目の手術が2日後に控えているが、手順も分かってゆとりができた。

     


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2023年03月07日(火)

     1月も終わる頃1本の電話があった。
     「もしもし、飯島先生ですか? 私○○と申します。」
     別に珍しい電話ではない、たぶん機織りの生徒さんだろうなと思いつつ耳を澄ます。

     「私、宮根小学校の時に担任していただいたSです。
      家を整理していたら、昔年賀状が出てきて懐かしくなって・・・」

     数日たって現れたのは二人の女性SさんとNさん、もう60代半ばになったという。
     二人とも当時担任していたが、今でも行き来しているというのは驚きだった。
     その頃の思い出話は尽きないが、その後の半世紀は波乱万丈ともいえる生活を送ったという。

     そして今は私も彼女たちもそれなりに落ち着いている。
     かっては子どもと大人の関係だったのが、高齢者というくくりで仲間のような気持になった。


6年2組の卒業写真はモノクロだった

お土産の花は華やかで涼しげだ


    
    二人の訪問から1ケ月後、Sさんがご主人と娘さんを伴って再度の訪問があった。
    「家の二階から見える空」を撮影している写真をご主人が見せてくださるが、空っていいもんだ!
    ほどなくして現像した空や風景の写真のアルバムが届いた。

    そうだ! ギャラリーで「絵と写真と○○展」のタイトルで展示をするのもいいなあ。
    5月にはコロナもインフルエンザ並みの5類になるから、やっと春が来る。


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