2019年03月23日(土)

    
      SMAP世代である団塊ジュニアたちを待ち受けていたのはなんだったのか?

   成人及び卒業、就職の前後でバブル崩壊に直面し、大学卒業者の全てが就職氷河期に遭遇した。
   このため、高校卒業後の受験戦争と相互経験から「不運の世代」とも呼ばれている。
   他方で、専門学校、短大の卒業者や高卒者は、バブル景気の恩恵を受けて就職している。

   日本では、新卒者や同業界からの転職者以外の採用に消極的な会社が多い。
   就職活動に失敗し、フリーターや派遣労働者といった不安定労働者(プレカリアート)にならざるを
   得なかった者も多い。
   旧帝国大学系の国立大学や難関私立大学を卒業した者にさえ、新卒での就職がままならなかったのだ。
   中小企業に中途採用も同然の形でようやっと就職できたという者が珍しくない時代になった。

   それでも1993年まではまだ雇用吸収力はそれなりに高かった。
   さらに1993年から1997年までは緩やかな景気回復期にあったので、団塊ジュニアは大卒も含めて
   どうにか就職できた人も多かった。
                    (以上 ウィキペデア「団塊ジュニアの就職期」より抜粋)



階段を上って待っていたのは

今から22年前のこと、日本国内で大きな事件が立て続けに起こりました。

1995年1月17日の未明の「阪神淡路大震災」が勃発しました。、同じ年の3月20日には東京都内での「地下鉄サリン事件」で、オウム真理教の信者による一種のテロ事件です。平和だと思っていた日本で突然、多くの人の命が奪われました。
空前のバブル景気がはじけ就職氷河期が訪れたのは1993年からなので、追い打ちをかけるような事件でした。

息子である兄弟は仕送りを断たれて(母退職のため)やっと学生生活を終えます。
二人とも前年に卒業予定でしたが、就職難を察知してか一年留年していました。
新卒という肩書は通用せず、厳しい就職氷河期に直面して就職先がないのです。



      東京に残った兄は企業の雇用ではなく都内のある場所に派遣されました。
      銀行業務の中のお金を管理する「システムエンジニア」という職種だったようです。
      こうして、深夜まで業務をこなし時間的ゆとりが全くない日々を送ることになります。
      これといった特技のない弟は愛知県に戻って職探し、やっと豊田系の中小企業に潜り込みました。

      親の時代なら「無事に就職してくれた、これで一安心だ」となるのでしょう。
      あとは適齢期に結婚して家庭を持ち、子どもを育てながら定年まで暮らすのですが・・・次回に続く


Posted by 欅舍のひろ at :  パーマリンク