2019年06月19日(水)

    バブル崩壊後に就職後2,3年で辞めてしまうと再就職は難しい。
    海外へ出て現地で働き口を見つけることはそれほど難しくはなかったようだ。
    
    タイにあった日本商社での現地採用員として働き始めた兄は、語学を生かして暮らしていた。
    給料は当時のお金で14万円ほどだったが、物価が安い国なので十分暮らせる額だった。
    しかし4年程経って突然「もう 日本に帰る」との連絡があり、仕事の当てもないまま帰国した。
    4年間一度も昇給がなく、ずっとその額に甘んじるのが現地採用の習わしだったとか。


二人三脚が始まった

とりあえずは親の家に住んでコンビニや様々なところで日銭を稼ぎ始めた。
弟が運営する行政書士事務所の業務を念頭に置き、試験勉強を開始する。
中小企業診断士という資格を手にして、各々の分野を担当することになった。

弟が狙いを定めていた産業廃棄物業者との付き合いが始まる。
30代前半は小回りが利くから、ネットでの営業を中心に飛び回っての営業だ。

前歴が多彩な産廃業者にとって若手の兄弟は気安く頼める存在にちがいない。
マンションの一室を事務所にして、兄弟で働き始めて10余年が過ぎた。
「今は食べていけるけど、決まったことをやるだけなので面白味はないな」と、また次の分野を見つけ始めている。
親の世代からは不安定に見えても、これが団塊ジュニアの生き方なんだろう。


  ※ このシリーズ書き始めたのは3年前でした。
    SMAPの解散が騒がれていた時から考えていた内容です。      

   「SMAP世代の働き方」はひとまず休み、また次の展開を待って始めます。
    断続的にしか書けなかったけど、読んでいただきありがとうございました。

       ※元SMAPメンバーの年下3人が古巣を離れるとの発表を知ったところ。
        年上2人も含めそれぞれが、どんな方向を目指すかこれから見守ることにしよう。
        馴染んだ仲間や組織から飛び出すのは、不安もあるけど違う未来もあるもんね。


Posted by 欅舍のひろ at :  パーマリンク